沖縄県北部の運天港(うんてんこう)からフェリーで約1時間。青い空・青い海に囲まれた、魅力いっぱいの島です。
伊是名島は、沖縄本島の北方に位置し、運天港から船で55分、周囲16.7kmのほぼ円形の離島です。
白い砂浜とコバルトブルーの海に囲まれ、豊かな自然が残っています。
陸地には琉球松の群落が広がり、赤瓦のまちなみとサンゴで積まれた石垣、フクギ並木が美しいコントラストを成す集落があります。
また、琉球王朝第二尚氏の始祖である尚円王にゆかりが深い島としても有名で、多くの文化遺産も残されています。
周囲 | 総面積 | 人口 | 世帯数 |
---|---|---|---|
16.7km | 14.1km2 | 1394人 | 759世帯 |
大いなる歴史と文化が交差する島
その昔、琉球は南山・中山・北山に分かれ、各地の豪族たちによる群雄割拠が続いていました。時を同じくして、伊是名島の青々とした農村で一人の男の子が産声を上げました。後の琉球王朝第二尚氏始祖尚円王でした。
青年期の尚円王の名は松金と称されていました。松金は24歳の頃、国頭の宜名真に渡ることとなり、その後何年かの時を経て首里に上ることとなりました。首里に上る頃の松金は金丸と称され、越来按司という役人の屋敷で奉公することになり、生来、頭が良く人格も優れていたため、越来按司は金丸をいたく重用したそうです。そして、尚思達王の代に下級役人となり、次の尚金福王の時には黄冠(高級官吏)の地位まで出世し、その後、金丸は様々な課程を得て、55歳にして琉球国王に即位しました。
それからというもの、琉球王朝第二尚氏は、1470年から明治の廃藩置県(1879年)に至る409年の長きにわたって琉球王朝を築きました。
このような長期安定政権は、徳川幕府をしのぐ歴史上たぐいまれな政権であったと同時に、独自の琉球文化が育まれ、今日に伝えられています。
尚円王ゆかりの歴史遺産。
伊是名村の歴史と文化が凝縮された資料館
先人たちが残した文化遺産を後世に正しく伝えるために、貴重な品々が歴史・民俗・考古に分けて展示されています。
特に、王家ゆかりの銘苅家収蔵品として国王や王族から賜った贈り物をはじめ、公事清明祭に用いる色鮮やかな漆器具類などが琉球王朝の栄華を今に伝えています。
その他の歴史や文化を学べるスポット
[伊是名城跡]
朝日の名所としても人気のスポット「マッテラの浜」で泳ごう
伊是名城跡の海岸から海ギタラ付近の海岸一帯を「二見ヶ浦海岸」といいます。
ギタラ展望台からは、エメラルドグリーンの海と海岸が見事に調和された景色を眺めることができ、まさに絶景です。
その他のビーチや人気スポット・イベント
[伊是名ビーチ] [いぜな88トライアスロン大会]
夫婦のように対になった二つのギタラ
海ギタラ、陸ギタラは伊是名島の南東に位置しており、島の絶景スポットとして人気を博しています。また、ギタラとは切り立つ岩という意味で、海人の言葉とも伝えられています。